ripples

なんともない日

米の炊き方すら分からなかった自分。食事の支度をする母と座ったままの父。

今では自炊をするけれど、大学で一人暮らしを始めるまでは家庭科でしか料理をした記憶がない。米を炊くときですら、3合のメモリのところまで米を入れるのか、水を入れるのかすらよくわからなった。

 


10数年も毎日ご飯を食べていて何故米の炊き方がわからなかったのか。家で全く手伝いをしたことがなかったのだ。

 


更に思い返してみる。実家で親戚の集まりがあった時、料理をしていたのはおばさんと母。出来合いのものを買ってきていても、分配したり取り仕切るのは女性で、父やおじさん達は座ってお酒を飲んでいた。顔を赤くして、愉快そうな笑い声をあげていた。

 


別に母たちは虐げられていたわけではないし、僕も少し運ぶのを手伝ったくらいしかしていなくて、それが当たり前に思っていた。

 


なんで父はおじさん達は自分でしないのか?そう思ったのは本当に小さい時だけだったろう。そのうち、ごはんおかわり!と言うとたまに自分でつぎなさい。と言われて、おかしいな?と思った。無意識に言ったらしてくれるシステムがそこにあると思っていたからだと思う。

 


一人暮らしをして、自分でやらなければ何も出ない、何も無いことを改めて理解した。だから、今同じ状況に居たとしたら何もしないというのはとても違和感があることだと思う。誰かに「頼み」もなく何かをやってもらうということ。

 


支度をしていた親戚の女性や母がみんな、または大多数が毎回苦痛を感じでいたかといえばそれも違うと思う。役割というのはどういう時にすらある。(必ず何かしらみんな課されている。それが苦痛かはそれぞれによる)

 


自分と誰か、誰かと誰か、すべての関係を見る時、もし当人たちが満足しているんだとしたらそれを社会的道徳や倫理観を持って不幸だとか幸福だとか正解だとか思うことはやめにしたい。それぞれの場にそれぞれ適した関係がある気もするから、目の前の人との関係を大事にすることがやっぱり大事なんだろうなと思っている。