ripples

なんともない日

人が怒る時

 


人はどんな時に怒るのだろうか、

殴られたら痛い、痛いからやめてほしい、やめてほしいから怒る

大切な人や理由なく傷つけられている人を守る時にも怒る、それで止まって欲しいと願う、護りたいと思う。

この二つは納得ができる。

 


罵倒されたり、蔑ろにされたときに怒りや、イラつきを感じるのはなぜか。

大声とかはダメだ、うるさい音は耳に悪いし、不快だ。

 


物理的ダメージがない、罵詈雑言の場合、痛くはない。軽くみられたときにイラッとするみたいだ、一言で言えばナメられた時ってと

ころか。自分だけにムスッとしててサービスが悪いとか、まぁなんでもいいんだけど、実害なくても不快でムカついちゃうものだ。

 

 

 

言葉はとても変な感じだ、反芻したりして良くも悪くも一生覚えていたりする。でも、実体がない。そこには何もない。

言われた側言った側の意図に1番近い思いをそこに込めていうから、同じ言葉一つでも全く違う解釈をしてしまうこともある、さらには皮肉だったり色々だったりで、もう訳がわからなくなってるときがある。

さらに言えば言葉を知らなければ全く意味も通じないから、いくら悪口を言われても、話してる側のニュアンスが悪意に満ちていたりしない限りは何も思いようがない。

 


誹謗中傷で心を痛めてしまうひとは多いが、言葉自体に殺傷性はない、それをどう受け止めるかという話になってくる。同じ言葉でも傷つく人が居たり、流せる人が居るのは最終的には自分が受け止めるかという話だからだと思う、どう言っても。好きに言わせればいいと思っているわけでないけど、自分の心をコントロールするのは自分であり、主導権を握っている感覚はあったほうがいい思う。

 


ネットの社会は匿名で言いたい放題で良くないみたいなことをもう何年も聞き続けているけど、一体どんな幻想の世界を生きていたかと思ってしまう。

現実世界だって言いたい放題言っている人がいるし、きもい死ねみたいな悪口、陰口は日常茶飯事だし、毎日のように言葉で済まなくて、直接的に攻撃したり、悪意を持って行動する人が五万と居る世界だ。殺人事件が1件も起きてない街に住んでる人なんかいるのか?現実の方がイカれてると思う。踏みしめてる地面は戦争やらで亡くなった人たちの血でまみれている。そういうふうに生きてきた。

人間はそういうものなのに、大人になって、悪意を初めて見たみたいな人を見ると、幸せに生きて来たのだなと思ってしまう。

子どもはむかつく相手が居て、こいつはこれが嫌がるなと知ったときに、無垢にニヤリとする、嫌な笑顔、笑いだと思う。

年齢を重ねれば「道徳」が育まれていってそれは良くなかったんだと、思い込むことによって、その笑顔は減っていくけど、ずっとしてる人もいる。そういう感じ。やる側、サイテー。

 


他人の言葉で死ぬのは主導権を握られているみたいで嫌じゃないかと思う、このタイミングとか死にたい気持ちみたいなのは自分でコントロールした上でやるのが個としてできる最後の行動だ、社会の中の一つの生命として死ぬより、独立した一つの存在として死ぬ方がなんかいいと思ってしまう。

 


年齢を重ねれば孤独感というのが増すらしい、寂しい気持ちがどうしようもなくなっていくのかもしれない。痴情のもつれで人を殺してしまう老人達や1つ、2つ周り上の人を正直なところ嘲笑してしまう自分がいるけど、

未来の自分にとっては他人事じゃないのかもしれない。1番避けたいところに変わりはないけど。長く生きて辛いこと、いいことあって最後がそれなんて、最悪だと思う。

 


そう思うと感情をコントロールする術はやっぱりさっさと身につけておかないとダメな気がした、すべては体験からきてると思った方がいい、無から感情が出来ているわけではなくて、記憶と経験が作ってる。

「そんなふうに思えないんだよ!」と、思い込んでるだけだと、そう思いたい自分が居るだけだと。そうしたら、そんなふうに思えない自分も少しは受け入れられるかもしれない。