小学校のバザーとは実にワクワクするイベントだった。
小学校のバザーとは実にワクワクするイベントだった。
いつもは真面目に朝起きて、決まった教科書をランドセルに詰め込んで家から数十分あるいて、じっと座って勉強するあの場所で子どもを楽しませる出し物がたくさん出るのだ。
小学生的目玉はたくさんある、お祭りや花火大会とは違ってこちらに焦点を当ててくれているのだからそりゃもう喜びの限り。
逆にいうとそんな期待大の子どもを裏切る出し物をしてはいけないのである。
バザーに必須なものそれは第一にフランクフルト、コンビニがここまで乱立していないあのころ、フランクフルトが食べられる機会というのは極めて少ない。ウィンナーとも違う、ビッグで規格外なワンダフルな食べ物、それが子どもにとってのフランクフルト。
小学生の時は顔だって今より小さいんだから、自分の顔より大きい美味しい食べ物なんて、ちょっとしたお菓子の家に遭遇するくらいの嬉しさだ。
それがおねだりするまでもなく手に入るバザー、ケチャップがあるかないかはもはや問題じゃないのだ。(だが、フランクフルトよ…オメーが魚肉ソーセージだったあの年、俺はあの時のテメェだけはどうしても許せなかった……).
そんなスペシャルマーベラスな食べ物を食べたあとは、うどんだ。
普段家で使わないような、あのプラスチック製の白い容器。それがまたいい味をだす、
少しやわからすぎるようなうどん、優しい出汁の味。
何より秋口くらいのバザーで少し肌寒いような、空気の中を、花壇の横なんかに立って食べたり、知らない教室で他の誰とも知らない保護者と同級生、別の学年の人とごっちゃになって食べる雰囲気はえも言われぬ気持ちを引き起こした。
それを家族で回し食べる。兄弟たちと別行動してたりもする。合流したりもする、そっちはカレーだったりして、インスタントなのか手作りの味なのか、どっちでも良いのだ。家でも給食でも食べたことのない、カレーの味。変な感じ、でも美味しい。ほんのり体があったまる。
ある程度お腹が溜まってきたら、わたあめをもらいに行く。今でも作ってるところがガラス張りにされた観光地のお店とか、飲食店なんかを見かけるがそのたびに少しワクワクする。そのワクワクの先駆けみたいな存在。それがわたあめ、変なの、ふわふわしてて、
すぐべっとりして、でも甘くて、美味しい美味しいと思っているうちにすぐ消えてなくなるのだ。不思議だなぁ、と思っていても次食べれるのは何ヶ月も後のことで、その特別感が懐かしい記憶の中でずっと生き生きしている。わたあめ、素敵な食べ物だ。
お腹いっぱいになる思い出を書き終わったなら、バザーの醍醐味、「くじ引き」の存在を語らないわけにはいかない。
くじ引きとは、バザーの参加券なんかについている引き換え券を指定された教室に持っていくと、壁にスーパーボールやら、カラフルで何かをかたどった消しゴムなんかが並べられていて、それと交換してもらえるあれだ。
交換と言っても好きなものとかえてもらえる訳でもなくて、参加券を渡し、くじを引き、引き当てた番号と一致したアイテムをゲットできるというルール。
この全員あたりみたいなルール、ノーリスクで何かをもらえる嬉しさ、それにその中でもあたりなのかどうかというギャンブル的なワクワク要素があるときた、子どもが楽しくないわけない。バザーの出し物の中で唯一能動的に楽しめるものでもある。
大体あたりみたいな大きいスーパーボールは貰えなくて、ちっこいスーパーボールが手に入る。それでも、そのボールが単色だろうと、透明で中にキラキラなラメが入っていようと、自分が引き当てたそれに、日に日に愛着が湧いていって、とりあえず暇があるときに取り出しては階段から転がしたり投げたりして遊ぶのだ。そのうち何処かに行ってしまって、ずっと後に埃まみれで出てきても、やっぱりまた引き当てた時のことを思い出して小学生のくせに愛着という感情が湧き出るのだった。
出し物としてはあとは水入りのヨーヨーとか、あれもよかったなぁ。
小学生の朝は早いからこれだけ堪能して家に帰ってもまだ昼過ぎだったりして、そこからまた、いつもの休日に戻るんだけど、どこか気持ちがそわそわして、同じことしてるのに今日はバザーがあった日の休日という感覚が夜寝るまで抜けなかったりした。
いいなぁバザー。小学校で今もやっているときいたり、きかなかったり。
そういえば去年くじをやらせる側に回ったな。子ども達が喜ぶ姿を見て、懐かしいと思わなかったのはなんでだろう。
いつかまた学校のバザーに参加することがあるのなら、その時は懐かしいと思ったりするんだろうか。少しだけ楽しみである。