兄
兄
2つ上の兄がいる、子どもの頃は喧嘩ばかりしていていつも負けていた。ホームビデオに泣かされている自分が映っており、止めろよ父!と思ったが、まぁ子どもの喧嘩である。
食い意地の張っている兄はよく食べ物の事で憤慨し涙を流した。妹が母と2人で黙ってマックにいったなら、幼少妹の「〇〇ちゃん、今日マックに行ってないよ!」という、母の内緒だよという約束を律儀に守ろうとした愚かな妹から情報を得て、俺の分のマックは!!隠れていくなんてひどい!!!って涙を流してブチギレていた。俺はドン引きした。他にも家にあったポテチをダメと言われたのに食べようして、その差し出した手の甲を叩かれ泣いていた姿も見てきた。
そんな兄は外の世界では人気者だった。俺も太っていたが、兄はもっと太っていた。
太ってる人が主に疎まれるのは体育の時間である、運動音痴なことが多いので、体育嫌いが多い。俺もご多分に漏れず、苦痛な時間を過ごしたわけだが、兄は違ったようである。所謂、「運動のできるタイプのデブ」だった。運動のできるデブは加えて陽気なキャラも付いていていることが多く、一転して人気者の地位を確立するのである。兄は社会ではいい感じの立ち位置にいた。寝起きが悪く、起こしてと頼まれたのに起こしたら物を投げつけてくる兄(それも記憶喪失してる)、寝る前に手をこちょこちょしないと寝れないという気持ちの悪い癖を持つ兄とは同じと思えなかった。俺はそこで人間の二面性というものを学んだに違いない。
そんな兄だが、それはそれ、これはこれという考え方を子どもの頃から出来ていた。何かお願いごとや、約束をした後に喧嘩したら、(子ども同士なのだし、)そのお願い事は有無を言わさずに破棄になりそうなものだが、兄は怒りながらも約束を果たすようなやつだった……後数学が得意だった褒めるところはこれくらいだ。仲悪くはない。こないだふと夢に出てきたから死んだかと思って連絡してみたら全然生きてた。決して仲良いとは言えないが、仲悪くもない我々、元気でやってくれればいい程度は思っている。
父
僕は父のことが苦手だ。
こちらの感情とかを汲み取ってくれなくて、ズケズケとモノを言う。0か100かみたいなところもある人。お前は社会にでたら苦労するわ…と言われた時、言われなくても分かっていると心底思った。そんなことは社会で生きていれば知っているから、父には優しい言葉をかけてもらいたかったのだ。
反面、父はとても人から愛される人だ。よく店員とタメ口で仲良さそうに話すから、知り合いなのかと思って聞いたら、大体初対面なのだ。くだらない冗談を言うのが好きだし、お酒も好きで親戚とお酒を飲む時にも中心にいる。ムードメーカー的存在。父と話す人の顔を眺めると心底緩んでいた気がする。田舎の気のいいおじさんそのもののような感じだ。生命力もあって、お酒を飲んだ時に弱音を吐きつつも、仕事は一生懸命にしていた。母は父を結婚相手に選んだ理由をどうなっても大丈夫な人だと思ったからだと言った。
家で酔った時に話す父はたまに真面目な話をしてきて苦手だった。兄妹から面倒がられていた。2人は絡まれないようにさっさ避難していたけど、僕は半分は雑談を楽しみながらいつも父に言い返し、そう思わないことは違うと言い続けた。僕と父は根本的に考え方が違っていたから、そこで分かり合える事はなくて、お前の考えてることは全くわからないとまで言われた。
大学を受験する頃、ある大学で小論文の試験があった。試験は上手くできなかった、準備不足が原因な事は自分でわかっていた。
車で迎えに来た父は制度に文句を言っていた。「何だ小論文って、よくわからんな試験っていうのは!!」僕はこの頃、こういう決まりきったことに不満を言う父が嫌だった。ガサツでどうにもならないことにいい加減にケチをつけているように思えた。「決まっていることだから仕方ないだろ」と言うと父は
「俺はお前の良い悪いが、そんな紙一つで判断されるのがムカつくんだ」と言った。
何もないようなフリをしたが本当は少し嬉しかった。驚いた。表面だけしか見れてないと努力していなかった自分を恥じた。
仕事を勝手に辞めた時、父は激怒した。
よく頑張ったなというような事は言わずに、これからどうするかということについて厳しく聞いてきた。新しく決まったいくつかの転職先についても父は納得していなかった。
結局殆ど相談していないところに行くことを決めたが、そこはブラックというレベル以上にとんでもないところで、危うく心を病みかけた。というか少し病んだ。
父は実家に帰ってこいというが、それが自分の解決になるようには思えなかったので、
社員辞めて他のところでバイトをすることにした。その後上京する機会のあった父は、先のことはしっかり考えているのかと追及の手を止めなかった。僕はリハビリのようなモノで今はこれが精一杯、先の事を考える余裕はないと言ったが、納得していなかった。
話をする人々の中で父だけが、僕を責めたことが嫌だったが、1番心配していることを表してもいた。それから、フリーター期間は殆ど父と会話できなかった。母とたまに連絡してすると、いつも心配そうにしている。あーいうふうにしか言えないのをわかってあげて欲しいと言われた。でもそれは理解していた。父に連絡出来ていなかったのは僕の負い目が原因だった。口でどう言っても仕方のない事だと思っていたから、環境が変わるまでは前のようには話せないと思っていた。
今は社員になったことでそんな父への負い目も消えて、少しずつ連絡できるようになった。この間父から急に電話がかかってきた。酔っていて、いつも悩むけどこういう時にしか連絡できないと言っていた。
仕事の話も少しはしたけど、それよりもくだらない思い出話が大半だった。楽しく嬉しかった。前のように話せた気がした。意見が違うことを楽しめていた時もあったのだと思い返すことができた。
自分が死んだ時に葬式どんな話をしてもらいたいかという話(明るいトーンのね)になった時、父は順番なら俺が先に死ぬから自然に言った。順番という単語を聞いた時、僕は高校生の頃の祖母の葬式を思い出した。祖母は高齢で亡くなったので、ガンではあったものの大往生と言えた。葬式自体もそんなわけなので、厳かではあるが、暗い雰囲気ではなく、父も喪主として明るく思い出話をするなどしていた。
外交的な父の側面が前面に出ていて、終始笑顔だった。ところが祖母が火葬場に運ばれる時になり、父は泣き崩れた、いろいろな言葉を祖母に向かって発した。僕も悲しくなって泣いた。父があんな風に泣くのを見たのは後にも先にもこの時だけで、死が父に与えることはこんなに悲しく辛い事なのだと思うと順番を破ることは許されないと思ったのだ。
それから色んなことがあり死にたいと思った時にいつも最後に助けてくれたのは精神科医や自己啓発、素晴らしいどの作品、素敵な思い出や、未来への希望ではなくて、この記憶だった。あれ以上に父を悲しませたくはない。
僕は父のことは苦手だが、父のことがすごく好きでもある。その矛盾を愛せているから、僕はまだ息をしているのだ。
憧れだけを胸に
自分の書いた物語に自分で救われる妄想をずっと抱いている。数年前からずっと脚本やら小説を書こうとパソコンやスマホのメモ帳を開いては入力し、描き始められない、書いてもつまらない、思いつかないを繰り返している。結局完成といえるものはほとんどなくて
その数少ない完成品も友達に送りつけた程度なのだ。だから、本当は才能も何もないのだと思うし、意欲も対してないのだろうと思う。それでもやめないでいるのは、それが心を支える一つになっているからだ。
たらればは夢がある、もし理想とする作品が完成したときはすごい達成感を得れたり、大きな成功を得たりするのではないかと漠然と思う事が許される。自分にとって宗教みたいな心の拠り所にちかいのかもしれない。
ここで書くような文字はいくらだって、評価されなくても、つまらなくても、自分で100%納得していなくても、いくらだって投稿できる。書いて吐き出すこと自体をストレス発散にしているからだ。でも、物語の方はそれでは困るのだ。少なくとも自分が完成したと思えるようなものではなくてはならないし、自分の中で違和感があるような事があってはいけない。自分にとってはそれが日の目を浴びるより、考えている、それが胸にある事が重要なんだろうという気がする。
なんだか情けないような、見るに耐えないような。いつかなんらかの形で終止符が打たれてしまうだろうと思っている、その日を何の対策もせずに待つことしかない出来ないが。
暗い話を詰め込んで
人はどんな時に怒るのだろうか、
殴られたら痛い、痛いからやめてほしい、やめてほしいから怒る。大切な人や理由なく傷つけられている人を守る時にも怒る、それで止まって欲しいと願う、護りたいと思う。この二つは納得ができる。
罵倒されたり、蔑ろにされたときに怒りや、イラつきを感じるのはなぜか。
大声とかはダメだ、うるさい音は耳に悪いし、不快だ。
物理的ダメージがない、罵詈雑言の場合、痛くはない。軽くみられたときにイラッとするみたいだ、一言で言えばナメられた時ってと
ころか。自分だけにムスッとしててサービスが悪いとか、まぁなんでもいいんだけど、実害なくても不快でムカついちゃうものだ。
言葉はとても変な感じだ、反芻したりして良くも悪くも一生覚えていたりする。でも、実体がない。そこには何もない。
言われた側言った側の意図に1番近い思いをそこに込めていうから、同じ言葉一つでも全く違う解釈をしてしまうこともある、さらには皮肉だったり色々だったりで、もう訳がわからなくなってるときがある。
さらに言えば言葉を知らなければ全く意味も通じないから、いくら悪口を言われても、話してる側のニュアンスが悪意に満ちていたりしない限りは何も思いようがない。
誹謗中傷で心を痛めてしまうひとは多いが、言葉自体に殺傷性はない、それをどう受け止めるかという話になってくる。同じ言葉でも傷つく人が居たり、流せる人が居るのは最終的には自分が受け止めるかという話だからだと思う、どう言っても。好きに言わせればいいと思っているわけでないけど、自分の心をコントロールするのは自分であり、主導権を握っている感覚はあったほうがいい思う。
ネットの社会は匿名で言いたい放題で良くないみたいなことをもう何年も聞き続けているけど、一体どんな幻想の世界を生きていたかと思ってしまう。
現実世界だって言いたい放題言っている人がいるし、きもい死ねみたいな悪口、陰口は日常茶飯事だし、毎日のように言葉で済まなくて、直接的に攻撃したり、悪意を持って行動する人が五万と居る世界だ。殺人事件が1件も起きてない街に住んでる人なんかいるのか?現実の方がイカれてると思う。踏みしめてる地面は戦争やらで亡くなった人たちの血でまみれている。そういうふうに生きてきた。
人間はそういうものなのに、大人になって、悪意を初めて見たみたいな人を見ると、さぞ幸せに生きて来たのだなと思ってしまう。
子どもはむかつく相手が居て、こいつはこれが嫌がるなと知ったときに、無垢にニヤリとする、嫌な笑顔、笑いだと思う。
年齢を重ねれば「道徳」が育まれていってそれは良くなかったんだと、思い込むことによって、その笑顔は減っていくけど、ずっとしてる人もいる。そういう感じ。やる側、サイテー。
他人の言葉で死ぬのは主導権を握られているみたいで嫌じゃないかと思う、このタイミングとか死にたい気持ちみたいなのは自分でコントロールした上でやるのが個としてできる最後の行動だ、社会の中の一つの生命として死ぬより、独立した一つの存在として死ぬ方がなんかいいと思ってしまう。
年齢を重ねれば孤独感というのが増すらしい、寂しい気持ちがどうしようもなくなっていくのかもしれない。痴情のもつれで人を殺してしまう老人達や1つ、2つ周り上の人を正直なところ嘲笑してしまう自分がいるけど、
未来の自分にとっては他人事じゃないのかもしれない。1番避けたいところに変わりはないけど。長く生きて辛いこと、いいことあって最後がそれなんて、最悪だと思う。
そう思うと感情をコントロールする術はやっぱりさっさと身につけておかないとダメな気がした、すべては体験からきてると思った方がいい、無から感情が出来ているわけではなくて、記憶と経験が作ってる。
「そんなふうに思えないんだよ!」と、思い込んでるだけだと、そう思いたい自分が居るだけだと。そうしたら、そんなふうに思えない自分も少しは受け入れられるかもしれない。
好きなもの、そうでもないもの、嘘をつかない
オイスターソースの味を想像できなくて、スーパーで買ってみることにした。牡蠣のなんとか当社比3倍!みたいなやつを買ってみた。何故牡蠣推しなのかはわからなかったけど安かったからそれにしたのだ。炒め物に使ってみると、めちゃくちゃ牡蠣の風味がした。オイスターソースっていうか牡蠣の風味が強すぎて本当のところどんな味なんだろうなオイスターソース。と愚かにも思っていたところ、オイスター=牡蠣だったことを知る。
ねぇ?、世界もっと早く教えてくれたっていいじゃないかなどと思ったのがさっきの話。
その前にはカネコアヤノのライブDVDが届いた、最初にカネコアヤノのを聞いたのは何年前だったか、「とがる」を聞いた。今回もとがるを歌ってくれていた、MVの感じも好きだけど、今回のカッコ良かった。本当に大好きって感じ、バンドメンバーの方々も楽しそうに演奏してて本当よかったよ。カネコアヤノ好きな人たくさんいるはずなのに実生活でカネコアヤノ好きな人に会えたことがない。居たら話したい。そういえば横浜のライブ応募してみた、当たったらいいなー。東京のライブ当たってたけど、コロナで延期延期なのよ。そーこーしてるうちに神奈川に越しちゃったし。
でもまだ、払戻はしてないのであーる。
最近家にいることが多いので、家の環境を少しずつ整えている。
机を買ったりね、机の上には窓がある。開かないやつ、そこから差し込む夕日が最高に良いので、カーテンはまだつけないことにしている。
明日は少し出かけようかな、秋口になったら
今よりたくさん出かけたい。ひとりでも、ダイエットも終わってるし、出かけた先で何かを少し食べたりするのも楽しみだなー。
遊びたい友達もたくさんいるけど、遠方なことも多くて中々ね。まぁこんな中でも遊べる友達が1人だけいて、わざわざ東京から呼びつけては家で肉を食べながらゲームをする会をしている。楽しい、子どものとき楽しかったことは大人でやっても楽しいのかも。
変に背伸びするんじゃなくて、本当に楽しいと思うことをやっていければ。人の目をあまり気にしなくなった。年齢や性別、ぼっちだとかそうじゃないとか、イタイとか。それは心にゆとりが出来たのもあるだろうし、自分は自分だと本当に思えたところがあるからだ。
好きなもの、そうでもないもの、嘘をつかないで今後やれたらいいな。
これ。カネコアヤノのライブDVD
そして、とがる。
鯉はどこからやってきたのか
ある日の暮れ、橋の下でベチベチと音がするので何気なく見ていると、魚が浅瀬を流されるように、飛び跳ねながら流れてきた。
そうしてたどり着く先を目で追うも、川は暗く、黒くよく見えなかった。
次の日、明るい時間にまた覗いてみると、そこにはウジャウジャと、うにょうにょと魚が泳いでいた。言葉は悪いが気持ち悪いと思ってしまった。「めちゃくちゃいるやん…」
しかし一度気がついてしまったら、気になるものだ。ただウヨウヨとその場を漂う彼らの正体と行方が気になった。
釣り好きな父に聞いてみたが、ふざけてんだか真面目だかわからない答えが帰ってきた。
そんなわけでTwitterで投げかけてみた結果、リツイートやいいねしてくれた人のお陰で、親切な人がこれは鯉だと教えてくれた。正直ボラだと勝手に思っていた。ちなみに鯉だと教えたときの父はやかましいことを言っていた。
正体が分かれば次はどこから来ているのか、
そしてどこ行くのかということが気になる。
毎日数が大幅に増減している。
コイが泳いでいる水路は浅瀬に囲まれているから、進むにも戻るにも違和感がある。
そんなわけで、俺は水路を辿ってみることにした。ここからは画像も盛りだくさん(地味
いるいる
ここを辿ると最初の画像の箇所
辿る辿る
つぶらな瞳
この辺りに枝分かれした箇所がありこっちルートには鯉はいなかった。
反対側見てみると
そうしてようやく…,
出たーーおおきい川、観音様がいる側のあの大きな川です。何川だっけ。
ウジャウジャいる
黒が多いから明るい色は目立つね
しかし、この川もその以前の段階でも、水が明らかに逆流しているところを泳ぎ切らなくては最初の水路まではたどり着けない。
眺めているとのほほーんと流されているだけだったような鯉達がわざわざ必死に昇るのか気になるところではある。
水が均一の量になるような大雨の際に流されていったのかな。そしてそこで子を産み繁殖してるのかなと思わないでもない。
大きな川か少し離れた箇所からは、水路育ちがたくさんいたりして。簡単にこの大きな川まで行き来できる感じでもないし、水路の苔を食べているようだから戻る必要もない気がする。
逆流まで行かない少し浅瀬の箇所を無理やり泳いで行ったり来たりしてるのかなというのが俺の仮説だ。
鯉にとって逆流を泳ぐ行為がどれほど面倒なのかわからないままだけど、こういうのは結構楽しい。また、なにかみつけたらやる。
ちなみにたどり着いた大きな川はこのブログの記事の最初に出てくる川でもある。
全てはつながっているですかね?(宮崎なまり)
今も今なのは今だけで、すぐ過去になる
最近人類が滅亡するようなパニック映画ばかり見ているから、人生の終わりが唐突に来るような気がして少し焦ってしまう自分がいる、影響受けやす過ぎて笑うしかないけど。
それから時の流れが早いという話をやっぱり延々と繰り返してしまうわけだけど、これまで生きてきた人生をもう半分を生きたら52歳。
それがなんだが恐ろしい気がしてきて、自分の人生が良くなるようにもがいていたつもりだが本当に最善が出来ているかというと怪しい。
こんなふうにブログ書いている時間も死に近づいている。余命は余命宣告のされて初めてその存在が生まれるように思えるけど、余命は今の俺にも誰にですら存在している。長く生きても後60年程度だと考えると、焦る。焦る、生きることに焦ってる、成し遂げたいこと、消費したいこと、過ごしたい時間、ゆっくりと立ち止まって考えたいのに、立ち止まっている間も死に向かっている。だから、走りながら考えないといけない、陰気になっている暇はなかったりするのだ。これがもう少し立てば落ち着くかもしれないけど今はとにかく流れ続ける時間の流れに恐ろしさと、追い立てられるような何かを感じている。
もう終わってしまってもいいやって思ってしまうようなことがあったタイプ、でも終わりは一瞬だし、今はそんなに地獄を生きていないから、大丈夫だ。どうやってもいつか来る終わりがあるのなら自らやる必要はない。
人生は長かったり、短かったりする。
思うように生きられることが果たして本当に良いことなのか、不自由を感じながら生きていることが本当に悪なのかわからないことだらけだ。
古い映画を見ると、あぁあの人も若かったんだなと心の底から思う。本当に当たり前の話だけど、その時は昔が過去が、今だった。
今も今なのは今だけで、すぐ過去になる。未来も一瞬で過去になる。だから、今と過去を自分の良いように生きていかなくては、上手くいけばきっと焦りも消えてくれるはずだ、そうではなくてはならない。